「ばくおん!!」で知るMotoGP 女性レーサー 第8話
今回は、ご令嬢がスーパーカブでオートバイ走行の練習をする話でした。
作者は解ってますね、カブから始まるレーサーの道、うんうん。
えっMotoGPとカブ、何か関係あるの?
目次
ホンダスーパーカブ
近年では50ccスクータが普及、今より30年以上前、ちょい乗りや配達の主役はカブ、至る所に停まっていました。
初めて乗るバイクがカブだったって人、多いのではないでしょうか。
かく言う私も初バイクはカブでした。
ホンダが作った、頑丈で低燃費、働くスーパーマシン。
物語の中で、転んでも、ギア操作間違っても、ハンマーで叩いても壊れませんでした。
(叩いたら壊れるやろ)
今でも新聞配達・郵便配達で大活躍してますね。
女性レーサー第1世代
1970年頃カブに乗ったのがきっかけで、オートバイに興味がを持ち、後にレースに出場した女性が居ました。
堀ひろ子(バイクジャーナリスト)1949-1985
1976年プロダクションクラスのレースにエントリー(27才)。
この当時のレース規約は女性の参加は禁止。
堀さんは特例として走行を許される。
しかし、特例の参加は記録に残らない透明人間、酷い話です。
この後、堀さんは不平等を解消するために活動され、MFJ(日本モーターサイクル協会)は1977年正式に女性のレース参加を認めました。
1978年の日本GPサポートレースで女性だけのワンメークレース「パウダーパフ」を開催し、女性レーサーの道筋を作る。
このレースに参加していたのが、小沼賀代子、井形マリ。
更に1980年の第1回鈴鹿4時間耐久レース(TTF3クラス)に今里峰子とペアを組み参加、決勝は転倒リタイヤ。
翌1981年も参加して、見事完走。
1982年は男性でも完走が難しいサハラ砂漠縦断(8000km)を、今里峰子とやり遂げる。(ラリー競技ではない)
今里峰子(腰山)
1980年の4時間耐久はTTF3クラスポールポジションを獲得、性別に関係なく速かった。
堀ひろ子が他界した1985年以降はレース活動を休止。
2004年から再びレースに参戦、同時に同じく出場する女性ライダーのサポートを始める。
現在も、堀ひろ子さんの意思を継ぎパウダーパフレーシングでサポートしています。
三好礼子(山村レイコ)
1977年頃(19才)から女性バイクジャーナリスト分野で活躍、堀ひろ子と人気を分ける。(どちらも美人、三好さんはTVの出演も多く一般的に有名人)
1987年からは本格的にラリー競技へ出場、1992年チュニジアラリー 総合29位(女性クラス優勝)、1997年ダカール・アガデス・ダカールラリー 総合57位(女性クラス優勝)。
女性バイクラリーストの草分け的存在です。
女性レーサーにハンデはあるのか
40年前、何故女性が走ってはいけなかったのでしょう?
相撲の土俵に上がれないのと同じ?そんな訳ないか。
そもそも女性がレースに出れない身体的理由はありません。
確かに筋力は男性に比べ少ないが、筋肉が有れば速いって訳でもない。
逆に体重が軽いのは有利、1Kg軽ければ1馬力得するって都市伝説もあるし。
とは言え排気量が大きくなるとマシン重量が増すので、筋力+持久力が必要です。
WSBK、MotoGPは厳しそうですが、小排気量ならハンデにならない。
ただし、オフロードは多くの筋力が必要で、男性と同じクラスで戦うのは厳しいと考えられていました。
でも大きな女性増えたからなぁ~って言ってたら、去年(2015)女性モトクロス国際A級ライダーがついに誕生。(安原さや)
また、脳科学的に複数の事を同時処理できる脳構造の女性は、サーキット走行中のエンジン回転確認、路面状況とタイヤの滑り具合、アクセル・ブレーキ等々の同時操作を難なくこなせる筈、きっとむいてる。(個人的意見)
参加する女性ライダーが増えれば、チャンピオン誕生も夢じゃないかも。
女性国際A級ライダーの誕生
小沼賀代子(諸鹿)
女性で初めて国際A級に昇格。
この時期のライセンス形態はノービス、ジュニア、国際B級、国際A級と4階ピラミッド構造で、クラス毎の年間ポイントで昇格が決まるルールでした。
国際A級(赤ゼッケン)は神。そんな時代です。
小沼さんは速かったらしいが、情報が極端に少ない。
井形マリ
1976年(18才)にホンダ技研に入社(OL)、社内チームの門を叩くが走る許可が出ず、ピットクルーとして参加。
1978年(20才)にやっとチームライダーとして入部を認められ、チーム員としてレース出場、筑波選手権プロダクション125で年間ランキング3位となる。
その後、レーサー125ccクラスで成績を上げ、1982年(24才)で国際A級に昇格。
A級昇格後はホンダを退社、プロライダーとして活動、翌年には鈴鹿8時間耐久にも出場しました。
1987年の全日本レースで転倒、この時の怪我が理由で引退。
引退後は、チームマリを結成し妹(井形とも)をサポート。
川島和子
1984年国際A級昇格。
1985,1986年の鈴鹿8時間耐久に夫とペアーを組み出場。
現在はKENZSPORTSを運営中。
女性レーサー第2世代(そして世界へ)
井形とも(とも子)
井形マリの妹、姉を追いかけるようにレーサーへ。
ノービスデビュー前、RS125で練習するも、エンジン回転をキープできず
コーナー立ち上がりで「モォーー」「モォーー」と牛の鳴き声を出しながら走行。
牛に乗るライダーとして噂された。
デビューは1985年(20才)、国際A級昇格は1988年(23才)姉より1年早い。
そして1992年全日本ロードIA125年間ランキング6位を獲得。
同じ年のWGP日本GPではGP125にワイルドカード出場。
1994年からWGP(GP125)にフル参戦し7ポイント獲得(年28位)、翌1995年のチェコGPでは7位の結果を残し、年間23ポイントを獲得しました(年21位)。
News「井形ともさんがFIMより女性レジェンドライダーとして表彰決定!!」 - SUPERBIKE.JP
その後ドイツ選手権などに出場し、1998年引退。
現在はチームマリの運営責任者として女性ライダーを指導しています。
思い出
ほらね、カブから女性GPライダーの道が始まってます。
女性アスリートの皆さま、モトスポーツの選択肢もお忘れなく。
私もカブからバイク人生が始まったけど、GPライダーになれなかった。
(レーサーにもなってないけど)
納屋に放置されてたカブを掃除、プラグ変え、ガソリンとオイル入れ、何十回もキック。
やっとエンジンが始動し、走り出した時の感動を今でも覚えています。
おや?エンジンオイル入れた記憶がある・・・もしかしてツースト?
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ヤマハのメイトじゃん。
参照:ふたり鷹4巻の解説(記:船山理)
次回9話に続く